あらゆる物品が海上交易によって運ばれた16世紀頃のヴェネチア共和国。13~14世紀には政治・経済的にも急成長を遂げ、東地中海の覇者として君臨していた。そんな富をもたらす海は、一方で争いや病の流行など、災厄も招き入れた。これらの困難から立ち上がり、世界にヴェネチアの繁栄を誇示するため、そして市民を団結させるために開催されたのが「祝祭」だった。ヴェネチアの特色ある「祝祭」は、形を変えながら現在まで続き、今も人々を惹き付ける。本展では、「祝祭」に相応しい華やかなヴェネチアン・グラスを、「祝祭」の魅力と共に紹介する。また、坪谷隆氏のヴェネチアン・カーニバルの写真作品も展示。往時のヴェネチアに迷い込んだかのような世界を楽しんで。
第1章 春 「富をもたらす海との結婚 ~センサの祭り~」
海と共に生きるヴェネチアでは、海に関する文化や伝統を伝える祝祭が大切にされてきた。
キリストの復活後40日目の木曜日に行うキリスト昇天祭は、ヴェネチアでは「センサ」と呼ばれ、レガッタ(ボートレース)や海上パレードなど、海にまつわる催しが行われる。中でも有名なのが、ブチントーロという豪華絢爛な御座船から、ドージェ(提督)がローマ教皇から贈られた金の指輪を海に投げ入れ、海を妻に迎える事を宣言する「海との結婚」と呼ばれる儀式。16世紀には、ヴェネチア共和国の祝祭の中でも頂点に位置づけられていた。
西暦1000年に第26代ドージェ、ピエトロ・オルセオーロ2世によるアドリア海北部沿岸域の制圧を記念して行われるようになったこの儀式は、海と親しみ、航海の安全を祈るだけでなく、ヴェネチアによる海上支配の正当性を宣言するという政治的な意味もあった。現代では、ヴェネチア市長がドージェ役を担い、今日まで続いてる。
ヴェネチアにとって、政治的にも経済的にも重要な場所であった海は、ヴェネチアン・グラスでも大切なモチーフの一つだった。この章では、センサの祭りと共に、船やドルフィンなど海にまつわる作品が紹介されている。
第2章 夏・秋 「安寧を祈る ~レデントーレの祭り、サルーテ教会祭~」
14世紀、全ヨーロッパで猛威を振るったペスト(黒死病)は、その後数世紀に渡って流行と収束を繰り返した。
ヴェネチアでは、流行の終息時にはレデントーレ教会〔ジュデッカ島〕や、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会が、感謝と共に設立された。
救世主(レデントーレ)キリストに捧げられたレデントーレ教会では、毎年7月の第3日曜日を中心とした3日間、祭りが行われる。本島からジュデッカ島に渡るための船の浮橋が作られ、前夜祭では盛大な花火が夏の夜空を彩る。
聖母マリアに捧げられたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会の祭りは、奉献された1687年11月21日に、ドージェ、マルカントニオ・ジュスティアンが信心の証として、毎年この日に教会への参拝を誓った事に始まる。ペスト撃退を記念して教会まで行進し、灯りをともした蝋燭を供える事で一年を健康に過ごせると言われている。
この章では、人々が安寧を祈る場所であった教会にまつわるヴェネチアン・グラスの作品と共に、ペスト終息を祝う祝祭を辿る。
第3章 冬 「栄華極める歓楽の都 ~カーニバル~」
ヴェネチアの数ある祝祭の中でも、カーニバル(謝肉祭)は特に盛大に行われた。イエス・キリストの荒野での40日間の修行に因み、肉食を控えて祈りと慈善の時を過ごす四旬節の前に、大いに食べ、飲み、騒いで楽しむカーニバル。そんなカーニバル最盛期の18世紀には、開催が約半年も続き、多くの外国人旅行客がこぞって訪れ、ヴェネチアは歓楽の都として有名になった。
海上都市であるヴェネチアにとってカーニバルは、社会的身分や人間関係から解放される特別な期間だった。それを可能にしたのが仮面による仮装で、人々は仮面を身に着け仮装する事で、リドット(賭博場)や劇場、カフェなどで身分の上下を問わずに交流を持つことができた。厳しい現実から逃れられるカーニバルに、多くの人が熱狂したのにはこうした背景もあった。
第3章では、カーニバルの時期にも上演された即興仮面劇「コメディア・デラルテ」の俳優を表現したガラス人形や、春の訪れを祝うかのような下永瀬美奈子氏による華やかなヴェネチアン・ビーズ・フラワーの作品、花装飾のゴブレット、坪谷隆氏による現代カーニバルの写真作品を通して、今なお多くの人を魅了するカーニバルについて紹介。
坪谷 隆(写真家)〔Takashi Tsuboya〕
学生時代より写真に興味を覚え、卒業後、単身渡米。New Yorkで「CFプロデュ-サー兼アートディレクター、写真家」のジョージ ナカノ、後にヴォーグ誌、ハーパースバザー誌、マリークレール誌等で活躍していた写真家のブルース ローレンスの両氏に師事。4年間のNew York滞在後、1976年帰国。
翌年、月刊コマーシャルフォト誌(玄光社)の特集”若手海外体験派カメラマン”として表紙写真と体験記事が掲載された。後に大手アパレルメーカー、化粧品会社、雑誌広告等幅広い企業から撮影依頼を受け、現在にいたる。
下永瀬 美奈子(ビーズフラワーデザイナー)
〔Minako Shimonagase〕
1989年ニューヨークでビーズフラワーに出会い、そのキャリアをスタート。その後、Giovanna Poggi Marchesi(ジョバンナ・ポッジ・マルケージ)氏よりイタリア・ヴェネチア発祥のビーズフラワーの歴史と伝統を受け継ぎ、後継者として日伊で活動中。「ビーズを繋ぎ、人を繋ぎ、心を繋ぐ」をテーマに両国の技術を融合させた新たなビーズフラワー「I Fiori di Vetro」の制作に取り組んでいる。世界最大のビーズフラワー「希望の桜」(H200㎝×W300㎝)を企画・プロデュースし、代表作「飛翔」がムラーノ・ガラス美術館に寄贈されるなど、現在ビーズフラワー界の第一人者として注目されている。また、2023年9月にヴェネチアで開催された第7回ヴェネチア ガラスウィークでは、モチェニーゴ宮殿美術館での展示が最高位の「ヴェネチア財団賞」に輝き、その独創的な感性から生み出されるビーズフラワーの生命感あふれる表現が、世界でも高く評価された。ビーズフラワースクールCandy Garden主宰、日本ビーズフラワー協会会長。
・・・・・ 作 品 紹 介 ・・・・・
春 “Primavera” 2021~24年 下永瀬 美奈子
18世紀頃に生み出された「コンテリエ」と呼ばれる極小ガラスビーズは、ネックレスをはじめ、ドレスやバッグの装飾として20世紀初頭のファッションを彩った。また、コンテリエ・ビーズ製の造花「ビーズフラワー」も、ムラーノ島の伝統工芸として数十年前まで職人の手で制作されていたが、機械化生産の波が押し寄せ、伝統のビーズフラワー製法は失われてしまう。
ムラーノ島最後のビーズフラワー職人から歴史と伝統を受け継いだ下永瀬美奈子は、フォーミングという技法を用いて、より躍動感のあるビーズフラワーの造形を試みている。
開催日 | 2024年4月27日(土)2024年7月15日(月) |
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会場 | |
所在地 | 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原940-48 |
アクセス | 「箱根湯本」駅からバス〈桃源台行き〉で25分、「俵石・箱根ガラスの森前」下車 |
TEL | 0460-86-3111 |
ホームページ | https://www.hakone-garasunomori.jp |
営業時間 | 10:00〜17:30(入館は〜17:00) |
休館日 | 毎年成人の日の翌日から11日間休館 |
料金 | 〈大人〉1,800円 〈大高生〉1,300円 〈中小生〉600円 |
施設情報 | カフェレストラン・ミュージアムショップ・水車小屋「アチェロ(オリジナル菓子のお店)」・体験工房 |
駐車場 | 有り(1日300円) |
支払い |
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更新日 : 2024.04.29